麻雀における“何切る”論
はじめに言っておきますが、別にネガティブキャンペーンではありません。
何切る?自体はそれはそれでおもしろいところもありますから。
僕の考えでは「何切る?」はこういうものです。
“この牌姿にコレを引いたら何を切るとどういう手が見えて、アガったときにはどのぐらいの得点が期待できるか”、というものですね。
ところが最近はおかしな方向に話が進んでいるふしがあります。
「ここから何を切ると最も効率がよいか、何を切るべきか」
実にナンセンスです。
そもそも、麻雀において場の状況を無視して選択をすることなんてほとんどありませんし、最も大事なのは自分の思考です。
どれを引いたら理想か、何をひいたらつまらないか、実際何を引いたのか・・・
常にこの繰り返しです。
どういうつもりで手を作ってたのかということがその時点での選択をもたらすわけです。
その思考が手作りの軸です。 そこに場の状況の変化や、ツモの理想と現実のズレなどが絡んで修正されていく、していくものですよね。
ツモだけで手を作るとは限らないし、絶対アガりたいのか、アガれそうなのか、アガれないことも踏まえて打つのか・・・
そんなこと言ったってしょうがねーじゃん。 ということなんですが、しょうがないんですw
だから、何切る?は、手役は何が見えて受け入れはピンズなのかマンズなのかとか、ハネマンをみるならだとか・・・そこまでのイメージトレーニング的なもなんですよ。
ここでの効率の差を比較し、上位のものを選ぶことが必ずしも意味のあることとはいえない。
ずっと言ってることですが、麻雀は出アガリが大半を占めます。鳴けるかどうか、出るかどうかは確率とはあまり関係がありません。
自分ならどうしたいからコレを切る、アレを引いたらこうして・・・とか、そういうふうに遊ぶものじゃないかと。
これは僕が高校生のときに既に至った結論ですが、
麻雀は確率のゲームではなく、可能性のゲームなんです。
緻密な計算が結果を左右するわけではありません。
大体、実際の麻雀なんて人の個性やメンタルが影響しまくるある意味ノイズだらけのゲームです。
1万回打ったら1万回ノイズがあります。 “机上”の「何切る?」ですら意見が割れるんだからw
何切る?自体はそれはそれでおもしろいところもありますから。
僕の考えでは「何切る?」はこういうものです。
“この牌姿にコレを引いたら何を切るとどういう手が見えて、アガったときにはどのぐらいの得点が期待できるか”、というものですね。
ところが最近はおかしな方向に話が進んでいるふしがあります。
「ここから何を切ると最も効率がよいか、何を切るべきか」
実にナンセンスです。
そもそも、麻雀において場の状況を無視して選択をすることなんてほとんどありませんし、最も大事なのは自分の思考です。
どれを引いたら理想か、何をひいたらつまらないか、実際何を引いたのか・・・
常にこの繰り返しです。
どういうつもりで手を作ってたのかということがその時点での選択をもたらすわけです。
その思考が手作りの軸です。 そこに場の状況の変化や、ツモの理想と現実のズレなどが絡んで修正されていく、していくものですよね。
ツモだけで手を作るとは限らないし、絶対アガりたいのか、アガれそうなのか、アガれないことも踏まえて打つのか・・・
そんなこと言ったってしょうがねーじゃん。 ということなんですが、しょうがないんですw
だから、何切る?は、手役は何が見えて受け入れはピンズなのかマンズなのかとか、ハネマンをみるならだとか・・・そこまでのイメージトレーニング的なもなんですよ。
ここでの効率の差を比較し、上位のものを選ぶことが必ずしも意味のあることとはいえない。
ずっと言ってることですが、麻雀は出アガリが大半を占めます。鳴けるかどうか、出るかどうかは確率とはあまり関係がありません。
自分ならどうしたいからコレを切る、アレを引いたらこうして・・・とか、そういうふうに遊ぶものじゃないかと。
これは僕が高校生のときに既に至った結論ですが、
麻雀は確率のゲームではなく、可能性のゲームなんです。
緻密な計算が結果を左右するわけではありません。
大体、実際の麻雀なんて人の個性やメンタルが影響しまくるある意味ノイズだらけのゲームです。
1万回打ったら1万回ノイズがあります。 “机上”の「何切る?」ですら意見が割れるんだからw
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