流れの認識と解釈 -リアル麻雀論-
流れは150%ある。
これはね、流れ否定派の人にはこう説明したい。
ゲームの展開によって状況に差ができること。
駆け引きやミス、メンタルによる打ち方の変化はその要因のひとつになりえます。
例えば東パツ5800、6100オールの後に、また5巡目くらいでリーチが入ったとしましょう。
これを流れと安易に口走る人もいれば、そんなものはないと断固認めない人もいます。
考え方はどっちでもいいんです。
単純に状況はキビシイですよね?
その状態をその後も続くと考えるかあくまでここまでの結果としか考えないかって違いはあるかも知れない。
でも、この時点での判断、選択に影響を与えるかっていうとそうでもない。
打ちたくなきゃいかない、アガリを止めたきゃ突っ込む。
ノーリスクでかわすのは結局、無理ですから。
要するにどう捉えようが対応に対した違いはないわけで…
ただここでオヤマンを決められたら勝負アリってことは、考え方がどうあれ揺るがない事実です。
この展開のことを流れと呼ぶことを否定する余地がないと思うんですけどねw
ヒヨるなどの心理的な影響も含めて流れと言われてるわけだし。
何しろ変なのはコレですよ。
牌の流れ。
ただ、コレは僕に言わせれば逆にどーでもいいことですかね。
感覚的に引いてきそうなのか枚数的に引いてきそうかってことなんだろうけど…
そう思うってことに変わりはないんです。
麻雀では思うと感じるは、ほぼ同じことです。
もっと言えば読むというのも大体同義なわけで。
ここで意見が対立してしまうなんてのは少し頭がカタイかなぁとw
同じものを別の視点で見てるだけなんです。
ちょっと頭がいいとコレを理論的に考えてるって思いたいみたいです。
逆に、明らかに山の中に何が濃いか読めるような状況なのに流れで引いちゃうつもりになってる人もいるわけです。
流れはあります。
そもそも流れというのは、目に見えるかどうかでなく人が感じること。
これはメンタルと共に存在してるに過ぎません。
メンタルが思考に影響を与える以上はあるとしか言えない。
例えば、ある人にとってラッキーなことは一方の人にとってはアンラッキーなことです。
・・・つまり流れってのはそれぞれの解釈なんです。
共通認識ではないということ。
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