アプローチエニグマティック
昔は「タテの流れをとらえてスーアンコを決めた」とか平気で戦術本に書いてあった。「この手は横が埋まりにく、ほぐすことで遅れるため、トイトイのが楽。面前で仕上れば役満まである。」 そんな説明をしていきたい
「流れ」=オカルトではないですからねw 流れ(笑)言われちゃうのはどういう意図というか何を指して流れと呼んでいるのか説明しないから
556とあって47が薄いと予測できればここは555または5566と見たりするわけで、そういう箇所がもうひとつふたつあれば当然にチートイツやトイトイという手役が浮かぶ。よりあがりやすい、アガれる可能性を追えばトイツ手にいくのがいいのかな、くらいなものを
たとえば「トイツ場」みたいな誰かが使ってる安易な言葉を当てはめてしまうからオカルト呼ばわりされる。
自分が場と手牌を照らし合わせた結果、トイツ手にアガリの照準を合わせるのがいいと判断した、そういう説明をすればいいだけ。一色手にしても同様。ある色が多くあって、残りの色の形がイマイチまたはそこでメンツができてもアガリが遠いと判断した結果、浮いてる字牌は鳴ける可能性も見越すと、
ホンイツまたはチンイツを見るのが「分がいい」と考える、そういう説明をするべき。その際に「ホンイツにしたい」という意識が働いてるというのが俺なりの見解。そういうものをひっくるめて「マンズの流れを感じてホンイツに向かった結果、見事マンズの山を掘り当てた」などと言ってはいけないわけだ。
麻雀に関するつぶやきよりコピペ@いちかわ
「流れ」=オカルトではないですからねw 流れ(笑)言われちゃうのはどういう意図というか何を指して流れと呼んでいるのか説明しないから
556とあって47が薄いと予測できればここは555または5566と見たりするわけで、そういう箇所がもうひとつふたつあれば当然にチートイツやトイトイという手役が浮かぶ。よりあがりやすい、アガれる可能性を追えばトイツ手にいくのがいいのかな、くらいなものを
たとえば「トイツ場」みたいな誰かが使ってる安易な言葉を当てはめてしまうからオカルト呼ばわりされる。
自分が場と手牌を照らし合わせた結果、トイツ手にアガリの照準を合わせるのがいいと判断した、そういう説明をすればいいだけ。一色手にしても同様。ある色が多くあって、残りの色の形がイマイチまたはそこでメンツができてもアガリが遠いと判断した結果、浮いてる字牌は鳴ける可能性も見越すと、
ホンイツまたはチンイツを見るのが「分がいい」と考える、そういう説明をするべき。その際に「ホンイツにしたい」という意識が働いてるというのが俺なりの見解。そういうものをひっくるめて「マンズの流れを感じてホンイツに向かった結果、見事マンズの山を掘り当てた」などと言ってはいけないわけだ。
麻雀に関するつぶやきよりコピペ@いちかわ
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