似非デジタル
3巡目くらいに発が鳴ければマンガンテンパイの隠れドラ3のシャンテンだとします。
一人の他家が白と中をもう一人に鳴かせて、発は押さえる。
白、中、ホンイツをアガられる。
これってどうですかね。
ツイてないと思いませんか?
客観的な考え方で言うと、
このことはたまたま発が最後だったのでアガる人間が自分ではなかった・・・
正しい考えですね。
ところがこれを、たまたま発が3番目(鳴かれなければ切る)になっただけだから、
「これはツイてないとかじゃなくて偶然なんだ。 だから気にすることはない。」
こう考えることをデジタルだと思ってることが似非(えせ)デジタルなんです。
これは中途半端な精神論ですよ。 精神論なら精神論で打った方が断然芯がある。
つまり、
デジタルは正しい考え方ですが、デジタル的に考えることは既にデジタルではない。
・・・場合があるw
何でだと思いますか?
麻雀は自分のが勝つために自分のために、自分が最も有利になるように最大限頭を使う・・・
超セルフィッシュなゲームです。
仮に競技プロが、観戦者がいることを前提として打つとしても、その勝つための思考回路、“実行度”に見るべきところがある、と思います。・・・その利己的度が上手いということなんですから。
宇宙の法則の中で僕らが生きてる意味なんてありません。 ですが生きてます。
麻雀もそうです。
やってるのは自分であって、超マクロな視点(神の目w)など意味を持たない。
先ほどの例でいうと、ツイてないと感じることの方が
ツイてないとか考えちゃいけないんだと考えること
よりは意味があると僕は思いますし。
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