今日は「リアル麻雀論」の後半導入部分にします。
麻雀というゲームをもう少し立体的に捉えていきます。
まず言いたいのは“顔を上げて打てということ”
これはメンタル的なことというよりは、実際に顔を上げろってことです。
待ち席にいるときによく見てるんだけど、みんな自分の手を見てる時間が長過ぎる。
自分の手牌ってのは、基本的にはツモってくるまで変化しない。
手を眺めてたってしょうがないから。
自分のツモを待ってる間にすべきは、人がツモって切るところを見ることなんです。
そうしてると、当然手出しかツモ切りかってくらいはある程度記憶できるようになる。
捨て牌を見るのではありません。
人が牌を捨てる様を“観る”んです。
癖とかテンション、迷い…いろんなものが見えてくる。そのうち、そういうことが結果としてじゃなくて経験的に読みの一部になっていくんです。
例えば対子落としとか辺チャン落としなんかがそうですね。
1枚目でわかるようになるってこと。
ああ、あの8萬は多分トイツ落としだな… みたいな感じに。
多くの人が場に打たれた牌を確認したら自分の手に目を戻してる。
手牌はアタマのなかに置いておくイメージで。
自分の手は自分がツモって切る間に考えます。
しかも次のツモ、次に切る牌を。 もちろん鳴く牌も含めて。
“考える”っていうと分かってるみたいで語弊があるから、イメージにしときますw
“実際に今、ツモって切ること”はどっちかっていうと作業って感じですね。
ちなみに、このとき考えることってのはポジティブなことに限りません。
“こっちが入ったらどうしよう”とか、“あそこらへんを引かされたらマワろうか…”
みたいなことも併せてイメージするんです。
そうしてると、意外な牌を引いたときしか止まらない。
長考はやめてください。
迷いの果ての結論はむしろ結果に納得しない。
サクサク打てるようになるというのは瞬時に考えることが、感覚になっていく感じです。
もちろん場の状況の方が優先ではあるんだけど、アガリ方や展開に対する意識を覚えたら次は人も場を作ってる要素に含めて見れるようにしたいですね。
一応断っておくと、顔をじろじろ見てはいけませんw
なんとなく視野の外の方でね、見るっていうのかな・・・
自然といろんなことに気付くようになります。
相手のリーチ、鳴きなんかへの対処もスムーズになる。
受けにまわったときの対応が遅い人ってのは大体その時になって場を見渡す人ですから。
その局の記録っていうか情報は更新されてるだけなんです。
リライトされることはないんだから、記憶していくんです。
「捨て牌なんか見たってわかんねえ」・・・ 開き直りですね。
とりあえず何かに気づけば十分。
ところで、盲牌についてなんですが、コレしない方がいいみたいな説ありますよね。
まあ、自由ですけど。
する利点もあります。
ツモってる間に手や場を見れるから。
それに脳に伝わるスピードは見ても触っても同じ。
どうせコシとかキズ(ピクリ)を完全に無くせないんだから盲牌ミスをそんなに叩くのも変。
余談ですが、7ピンと1ソーを間違えて盲牌をやめた有名?な話がありますよね。
おかげで僕は7ピンと1ソーを間違えたことは一度もないw
もうひとつあります。
僕はイメージが一番大事だと思うから、触った感覚っていうか、引いてくる感覚は盲牌してる人には“この後、触るだろう”って感覚になるわけで…
麻雀ってのは手を使って脳を使って…
体全体を使って人間が人間とやるものです。
だから感覚、感触、イメージみたいなものを否定する根拠ってのはないんじゃないかって思います。
まあ、こういうのはオカルトに近づいてしまうのでこれくらいで。
でも麻雀でよく使われるオカルトって言いすぎですよ。
本当のオカルトは「さっき食った野菜炒めにやたらピーマンが入ってたから発タンキだな… 」 みたいなのを言うんだと思うんですけどw
麻雀というゲームをもう少し立体的に捉えていきます。
まず言いたいのは“顔を上げて打てということ”
これはメンタル的なことというよりは、実際に顔を上げろってことです。
待ち席にいるときによく見てるんだけど、みんな自分の手を見てる時間が長過ぎる。
自分の手牌ってのは、基本的にはツモってくるまで変化しない。
手を眺めてたってしょうがないから。
自分のツモを待ってる間にすべきは、人がツモって切るところを見ることなんです。
そうしてると、当然手出しかツモ切りかってくらいはある程度記憶できるようになる。
捨て牌を見るのではありません。
人が牌を捨てる様を“観る”んです。
癖とかテンション、迷い…いろんなものが見えてくる。そのうち、そういうことが結果としてじゃなくて経験的に読みの一部になっていくんです。
例えば対子落としとか辺チャン落としなんかがそうですね。
1枚目でわかるようになるってこと。
ああ、あの8萬は多分トイツ落としだな… みたいな感じに。
多くの人が場に打たれた牌を確認したら自分の手に目を戻してる。
手牌はアタマのなかに置いておくイメージで。
自分の手は自分がツモって切る間に考えます。
しかも次のツモ、次に切る牌を。 もちろん鳴く牌も含めて。
“考える”っていうと分かってるみたいで語弊があるから、イメージにしときますw
“実際に今、ツモって切ること”はどっちかっていうと作業って感じですね。
ちなみに、このとき考えることってのはポジティブなことに限りません。
“こっちが入ったらどうしよう”とか、“あそこらへんを引かされたらマワろうか…”
みたいなことも併せてイメージするんです。
そうしてると、意外な牌を引いたときしか止まらない。
長考はやめてください。
迷いの果ての結論はむしろ結果に納得しない。
サクサク打てるようになるというのは瞬時に考えることが、感覚になっていく感じです。
もちろん場の状況の方が優先ではあるんだけど、アガリ方や展開に対する意識を覚えたら次は人も場を作ってる要素に含めて見れるようにしたいですね。
一応断っておくと、顔をじろじろ見てはいけませんw
なんとなく視野の外の方でね、見るっていうのかな・・・
自然といろんなことに気付くようになります。
相手のリーチ、鳴きなんかへの対処もスムーズになる。
受けにまわったときの対応が遅い人ってのは大体その時になって場を見渡す人ですから。
その局の記録っていうか情報は更新されてるだけなんです。
リライトされることはないんだから、記憶していくんです。
「捨て牌なんか見たってわかんねえ」・・・ 開き直りですね。
とりあえず何かに気づけば十分。
ところで、盲牌についてなんですが、コレしない方がいいみたいな説ありますよね。
まあ、自由ですけど。
する利点もあります。
ツモってる間に手や場を見れるから。
それに脳に伝わるスピードは見ても触っても同じ。
どうせコシとかキズ(ピクリ)を完全に無くせないんだから盲牌ミスをそんなに叩くのも変。
余談ですが、7ピンと1ソーを間違えて盲牌をやめた有名?な話がありますよね。
おかげで僕は7ピンと1ソーを間違えたことは一度もないw
もうひとつあります。
僕はイメージが一番大事だと思うから、触った感覚っていうか、引いてくる感覚は盲牌してる人には“この後、触るだろう”って感覚になるわけで…
麻雀ってのは手を使って脳を使って…
体全体を使って人間が人間とやるものです。
だから感覚、感触、イメージみたいなものを否定する根拠ってのはないんじゃないかって思います。
まあ、こういうのはオカルトに近づいてしまうのでこれくらいで。
でも麻雀でよく使われるオカルトって言いすぎですよ。
本当のオカルトは「さっき食った野菜炒めにやたらピーマンが入ってたから発タンキだな… 」 みたいなのを言うんだと思うんですけどw

こんなリーチが入ったとしましょう。
これがよくある捨て牌読みクイズだったら答えは3−6萬か3−6−9萬ってことになるんだろうけど、実際の麻雀はそんな単純なもんではありませんよねw
一応、模範回答みたいなものを入れとくと、
こんな早さでドラメンツを外すわけないからダブルメンツ落とし濃厚、しかも宣言牌5萬はアンコもみてのことで6萬のスジが大本命(死語)って話。
まず問題なのは、打ってるときにツモ切りかどうかを見てるのかどうか。
全部手出しなら、確かにこのリーチは6萬のスジの可能性が相当に高い。
それでも、もし3−6−9萬が入り目だったら? 3−6ピンとか3−6ソーで3色のハネマンとかかもしれません。
これがタテホンチートイだったら? その場合色は限定できますか?
危ないのは字牌と出てないマンズ全て、ピンズ、ソウズの端っこ全部w
じゃあ、ボーっとしてる間にこのリーチが入ったら?
4萬だけがツモ切りだったら?
4萬5萬共にツモ切りは? 他で張ってたとこからのキレリー…
でもその場合って安いピンフとは限らないよね。3345ピンのメンタンピンとか。
5萬だけツモ切りの場合は… 5萬内蔵の3−6萬のタンピン赤ドラダマからのリーチ?
カン7萬の3色もあるけど、まあその場合はかなり打てる人じゃないと態度でわかっちゃいますし。
何しろこの巡目でドラのカンチャン一発ツモを逃してるわけですからね。
多少経験があれば、このリーチに3−6萬が安全ではないのは常識。
とはいってもできることは3−6−9萬を開拓しないことくらい。
でもこのリーチ、ツモられるのも痛い感じです。
確かなのは、早くて高くていい手だって覚悟してれば間違いないということ。
じゃあ、もしこのリーチをかけたのが初心者だったら?
上手い人なら?
ストレートなタイプの人? 最高形だから何も考えずにリーチかな。
ひねってくるタイプ?
面子に初心者が混じってたら?
普通に3−6萬の出アガリを狙ってるかも。
じゃあ、4人とも打てる面子だったら?
読まれてもツモ狙い? 他での出アガリ狙い?
親だったら?
1300でトップのオーラスだったら?
ドラメンツを嫌って入り目6−9ソーの1−4ピンでリーチのみとかも無いとは言えません。
ま、可能性は低いですけどね。 そんな状況ではおそらく下も点差が近いからドラポンとかをケアするので。
ツイてる人だったら?
ツイてない人だったら上までは伸びてなくて、ミエミエの3−6萬だけかもしれない。
逆に自分がツイてなければ、9萬が何と高目チャンタ3色の6−9萬に刺さるなんてことも。
首を傾げながら曲げてきたら?
そこそこ打てる人なら3−6萬は入り目かも。
初心者だったら待ちを確認した3−6−9萬かもしれない。
シャミ体質のヤツだったら…
じゃあ、自分が下手だったら?
何の思考も生まれません。
まあね、イロイロ考えたってどうせこの人アガるでしょ w
この場合は確かにそうなんですが・・
麻雀を構成してるのは自分と3人の相手、状況、状態、この4つです。
この中で支配できるのは“自分”だけ。
いかに自分を操るか… これが麻雀のひとつの大きなテーマではないでしょうか。
そのためには自分は麻雀をより知ってる方がいいですし、いろんなことが考えられて楽しいです。
状態、状況はもちろん人に絡んでくるんだけど、僕は、相手がどんな人で今どんなことを考えて打ってるのかってことをイメージしながら打つのがこのゲームの一番おもしろいところだと思ってます。
例えばさっきのリーチをフリーで打ち始めたくらいの人が待ちを確認して自信満々にかけてきたら95%w 出来過ぎ赤マタギの3−6−9萬とか。
打ちなれた人が起家マークをチラ見して若干躊躇してかけてきたら、ダブ東なのをちょっと嫌がった東タンキのチートイもあるかなとか…
こんなふうに考えながら打ってる方が絶対おもしろい。
実際、経験を重ねてくとそういう感覚ってのは合ってることの方が断然多くなる。
これだけ待ちの話をしておいて何だけど、実際に待ちがどうなってるかはあまり重要じゃなくって…
大事なのはどう対処するかってこと。
これはいわゆる“読み”の話に限りません。
逆の立場もあります。
自分がその手を入れたときに何を考え、狙い、どう打つかってことも考えるのが麻雀ですから。
また、それを今度は相手がどこまで考えてくるんだろう… とか。
僕は、麻雀は思考のゲーム、
もっと言うとイマジネーションの世界だと考えてます。
自分がどう感じ、どう考え、どう選択するか判断するか… そういうゲームだから。
ある意味、超主観的世界観というか、マイワールドですよ、コレは。
ただそれを支えてるものは常識だったり、記憶力、観察力、判断力とか精神力・・・
つまり一般に認知された能力ってこと。
意識、イメージ、結果、判断…
繰り返し出てくる言葉があるけど、それは麻雀の“キーワード”と理解してくれればいいんじゃないかなと。
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