読み 3
読むことは第一義的ではない ってことを理解できてないとハマります。
読みは手を進めるベースになることもあれば、補完的に使うだけのときもある。
場合によっては読んでいても残りの可能性に賭けることだってあるわけで・・・
どうしてそうなるかは、麻雀というゲームは攻守が表裏一体だからなんですね。
攻めか守りかで区切られてるわけではないんで。
読みをどう活かすかってのが重要。
とある店でこんなリーチが入りました。

東パツの親リー。 ドラは6ソー
一般的、かつ人間を無視したフラットな理解、目線・・・
で考えればこのリーチにもっとも “危ない”のは6-9ソー(ドラタンキも含む)
次に字牌、それとマンズの変な待ちってところでしょう。
でも実際の麻雀ではキャラと動作、雰囲気が加わります。
・・・もちろん手出しかツモ切りかってことも。
ツモ切りは2萬だけ。
彼はリーチの瞬間に一瞬考えたんです。
初めて打った相手ではあるんだけど、この時点で僕のわかってること、知ってること、感じてることを言うと・・・
まず彼は打てる人間だということ、それと相手3人が下手じゃないのを知ってる人間だということです。
そうなると1番危ないのはドラではないってことになる。
(もちろん安全じゃねぇよw)
少なくとも6-9ソーならクラス的にノータイムだと思うから。
ノータイムでなかったのは、多分、待とうと決めてたとこが入ったからじゃないかと。
あの間はチートイならば字牌が重なっての選択かなって。
このときまず浮かんだのがドラを組み込んでる黒5萬タンキのチートイ。
赤5ソータンキのリーチは出ないけど赤ダマと赤切りリーチなら値段が同じってロジックだ。
結果は全員ベタオリ(気持ち悪いリーチなんで、そんなこともある)で一人テンパイの流局・・・
手は7萬タンキのチートイ赤の9600(裏ならインパチ)だった。
ドラは彼が途中で持ってきて場に3枚出る展開になったからドラドラでないのはもうわかってたんだけど・・・
はっきりいってこんなリーチ読みきれやしないし、ソレによってアガリを止めることはできません。
ツモられることもあるし、他の人が一発で打っちゃうこともあるし、自分だってタンピン3色ドラとか入っちゃったら全然打つしw
まあ、これで6-9ソーのリーチ赤1とかだったりしたら、“買いかぶりだったな”って思うだけですね。 その後のその人に対する見方が変わってくるってだけのこと。
ただ、一番危ないと自分が感じた5萬で無駄に打つのだけは最悪につまらないことということです。
麻雀において危ないというのは、絶対的に危ないかどうかというよりは、その牌を切ることと切らないことのどちらに後悔が残るかを基準にするべきです。(その後の展開も考えて)
掴む、刺さると嵌るのは全然ちがう。
メンタルに対するインパクト
相手は気持ちいい、自分は気持ち悪い・・・ここに2倍の心理的エネルギーの開き(笑)がある。
これが“客観的”に見て、ゲームに影響しないといえますかね?
そもそも読むこと思う、考えるとほとんど同じことです。
待ちを当てる?
そんなのは読むことのほんの一部でしかないし、きわめてクオリティの低いもの。
それに・・・当てたからといって他人のアガリを回避できるわけではありません。
読むということは推測するということ。
何が出るのか、何があるのか、どうなるのか
相手が何を考えてるのか、何を狙ってるのか・・・
こんな感じのことを相手の立場、相手のキャラで考える。
自分のアガリ牌や鳴きたい牌を考えるときも相手の視点から考えるんです。
例えば、そのリーチが出やすいか出にくいかとかそういうことです。
通りそう(相手の目線)≒出やすい(自分の目線)
麻雀の読みは常にこういう構図でなりたってます。
読みは手を進めるベースになることもあれば、補完的に使うだけのときもある。
場合によっては読んでいても残りの可能性に賭けることだってあるわけで・・・
どうしてそうなるかは、麻雀というゲームは攻守が表裏一体だからなんですね。
攻めか守りかで区切られてるわけではないんで。
読みをどう活かすかってのが重要。
とある店でこんなリーチが入りました。

東パツの親リー。 ドラは6ソー
一般的、かつ人間を無視したフラットな理解、目線・・・
で考えればこのリーチにもっとも “危ない”のは6-9ソー(ドラタンキも含む)
次に字牌、それとマンズの変な待ちってところでしょう。
でも実際の麻雀ではキャラと動作、雰囲気が加わります。
・・・もちろん手出しかツモ切りかってことも。
ツモ切りは2萬だけ。
彼はリーチの瞬間に一瞬考えたんです。
初めて打った相手ではあるんだけど、この時点で僕のわかってること、知ってること、感じてることを言うと・・・
まず彼は打てる人間だということ、それと相手3人が下手じゃないのを知ってる人間だということです。
そうなると1番危ないのはドラではないってことになる。
(もちろん安全じゃねぇよw)
少なくとも6-9ソーならクラス的にノータイムだと思うから。
ノータイムでなかったのは、多分、待とうと決めてたとこが入ったからじゃないかと。
あの間はチートイならば字牌が重なっての選択かなって。
このときまず浮かんだのがドラを組み込んでる黒5萬タンキのチートイ。
赤5ソータンキのリーチは出ないけど赤ダマと赤切りリーチなら値段が同じってロジックだ。
結果は全員ベタオリ(気持ち悪いリーチなんで、そんなこともある)で一人テンパイの流局・・・
手は7萬タンキのチートイ赤の9600(裏ならインパチ)だった。
ドラは彼が途中で持ってきて場に3枚出る展開になったからドラドラでないのはもうわかってたんだけど・・・
はっきりいってこんなリーチ読みきれやしないし、ソレによってアガリを止めることはできません。
ツモられることもあるし、他の人が一発で打っちゃうこともあるし、自分だってタンピン3色ドラとか入っちゃったら全然打つしw
まあ、これで6-9ソーのリーチ赤1とかだったりしたら、“買いかぶりだったな”って思うだけですね。 その後のその人に対する見方が変わってくるってだけのこと。
ただ、一番危ないと自分が感じた5萬で無駄に打つのだけは最悪につまらないことということです。
麻雀において危ないというのは、絶対的に危ないかどうかというよりは、その牌を切ることと切らないことのどちらに後悔が残るかを基準にするべきです。(その後の展開も考えて)
掴む、刺さると嵌るのは全然ちがう。
メンタルに対するインパクト
相手は気持ちいい、自分は気持ち悪い・・・ここに2倍の心理的エネルギーの開き(笑)がある。
これが“客観的”に見て、ゲームに影響しないといえますかね?
そもそも読むこと思う、考えるとほとんど同じことです。
待ちを当てる?
そんなのは読むことのほんの一部でしかないし、きわめてクオリティの低いもの。
それに・・・当てたからといって他人のアガリを回避できるわけではありません。
読むということは推測するということ。
何が出るのか、何があるのか、どうなるのか
相手が何を考えてるのか、何を狙ってるのか・・・
こんな感じのことを相手の立場、相手のキャラで考える。
自分のアガリ牌や鳴きたい牌を考えるときも相手の視点から考えるんです。
例えば、そのリーチが出やすいか出にくいかとかそういうことです。
通りそう(相手の目線)≒出やすい(自分の目線)
麻雀の読みは常にこういう構図でなりたってます。
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